理髪師の井戸〜新館〜

日本史と郷土史が繋がった瞬間と、通史の舞台裏

一冊の‘記念碑’

   赤谷正樹氏の『まち歩き 札幌の歴史』がこのほど刊行された。 

   著者は、かつて札幌市民ならその青い表紙を知らぬ人のない「さっぽろ文庫」シリーズの編集に携わった後、カルチャースクールの「札幌歴史散策」講師として、歴史や思い出を切り口に札幌の魅力を紹介してきた人物である。今はすっかり定着している、「街の記憶」を辿るという知的な街歩きを札幌で実践した先駆者的存在と言える。 

   赤谷氏を語る上で欠くことが出来ないのは、それが札幌の歴史と長く関わっていく原動力の一つとなったに違いないが、物静かではありながらもその文章からも言葉からも滲み出ている「札幌愛」である。札幌を称賛し、ふるさとへの思いを吐露する人は他にも大勢いるが、私の感覚では、氏にはそれらと全く熱量が異なる愛おしさのようなものを感じる。氏が口にする「札幌」という単語には「恋人」、「父母」に近い響きがあるように思えるのである。講座のテーマは「札幌大好き人間」達で紡ぐ「サッポロ学」であると語る。ご自身の札幌愛を受講生に伝道し、新たな札幌ファンを生み出してきたことになる。 

   札幌市の市制施行百年を記念して出版された本書もまた、十五年に渡り継続された歴史散策講座が下敷きとなっている。ゆえに取り上げられている施設等の項目もものすごい数に上る。   

   そして本書の大きな特徴の一つかと思うが、地図が充実している。それは現代のみならず、今自分が歩いている場所にかつて何があったかという「昔の地図」も豊富なのである。この辺り、いかにも散策講座から生まれた本らしい。

   また忘れてはいけないのはこれをオールカラーとした出版元の北海道新聞社の心意気である。一読者として感謝と敬意を申し上げたい。 

   そうした力の入った構成とともに、自ら改めて現地に赴かれて撮られたと思われる写真、そして文章からは読む者に札幌を歩き、好きになってもらいたいという想いが伝わって来て、読んでいて本当に胸が熱くなった。 

   氏は、本業に在職中から高野山大学大学院に学び、退職後は東北大大学院に進んだ、仏教を中心とした日本思想史の専門家でもある。『平家物語』への造詣が深く、「平清盛の死因」という面白い論文も発表している。

  本書でも都合三十六の寺社、教会が紹介されており、この他慰霊碑や墓所もいくつか載っている。この数が類似の書と比べて数的に格段に多いかは分からないが、私には著者ならではの関心なり視点なりがここにも感じられた。 

  最高のガイドが著した最高のガイドブックを手に散策を楽しめる札幌の人が羨ましい。 

   思えば、この本自体が道都の開闢からの歩みを語る記念碑のようである。そして、大札幌の節目を飾る一冊を物す機会が著者に与えられたのは、札幌の地祇がこの街を直向きに愛してきた者へ与えた最高の褒美だったのではないかと思えて仕方がないのである。

   息長く読み継がれていってほしい。 


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